2014年10月31日金曜日

「ほどほど」は沼である

料理が苦手です。

と昔から言っているのですがここ数か月の自宅生活で
あらためて、料理が苦手です。


とはいえ子どものごはんも作らねばならぬので
日々なんとかかんとかやっています。

苦手、だけどできない訳じゃない。
苦手、だからよく失敗するけど大失敗じゃない。

その上で、そもそも食べることにあまり頓着がない。
おいしいのハードルも低いジャンク好き。

そんなこんなで「なんとかしよう!」という気にならず
料理の腕前はイマイチのままなのであります。

そこでハタと気づいたのですが、この

なんとなくなら、できる(気がする)

感覚ってものすごく改善意欲を減退させるなぁと。

この「ほどほど満足フィールド」に突入してしまったが最後
ここから脱するのは難しい。

ものすごく必然的な改善理由が発生するか
(例:子どもがアレルギーで手作りじゃないとダメ)
ものすごく強力な改善意欲が発生するか
(例:子どもにおかあさんの料理なんてキライ!と言われる)

のいずれかが起きない限りは状況が変わる気がしない。
変えなくても大して困らないから。

これって料理に限らず日々の暮らし全般に言えることで
大学生活も同じこと。

ほどほど満足だし、まあいっかと思いつつ
いやでも本当にいいのかな…?と不安もある人は
そのままだと「ほどほど満足フィールド」沼に落ちるよ~。

沼から出るには動かなくてはならぬ!
ということで、ほどほどはヤバイな。と思った学生さんはどうぞ
アナタの改善意欲を刺激するインターンフェアにお越しください。

わたしはとりあえずオレンジページを買います。

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2014年10月21日火曜日

「不安です」は動かない言い訳なのかもよ。

でもまあなんとかなるよ!

そんな風に根拠なく言うのは脳天気すぎやしませんか?
と学生に指導を受けたことがあります。

なんでそんなに楽観的なんですか。

となかばあきれられたこともあります。

…なんだか頭に花でも咲いてる人みたいですが
そんな脳天気で楽観的な私だって

センター試験で失敗したときも
あこがれのアメリカの地に降り立ったときも
何度目かの転職活動をしているときも
独身が楽しすぎて結婚する気がしなかったときも
子どもの保育園がスタートしたときも

いつだって不安でした。


ですが、不安すぎて夜も眠れない…とか
不安で押しつぶされそうだ…とかそんなことはなく
やっぱり「まあ、なんとかなる」と思っていました。

それは「なんとかなった!」経験の積み重ねがもたらす
「なんとかできる自分」という自信なのかもしれません。

でも大して経験なんてないときだって
「まあ、なんとかなる」って思っていたのです、わたし。

それは周りにいる大人が(特に一番身近な両親が)

とりあえず、やってみなはれ。※

という姿勢で応援をしてくれたからじゃないかなと。

そして、私のいきあたりばったり人生を「計画性がない」
と苦笑しつつも面白がってくれていることも
ひそかに大きな支えになっているのだと思います。

不安を抱えながら足がとまっていると不安は増幅する。
不安を抱えながらでも動き出すとそこに変化が生まれる。

やってみて成功したら「やっほい!」って喜べばいいし
やってみて失敗だったら「ダメだった」ってわかったことが収穫。
でも何もしなかったら何も変わらない。

ま、なんとかなるからやってみはれ。
キミが歩いたところが道になるんだよ。

注)サントリーの鳥井信治郎氏の口癖だったそうです。
やってみなはれ精神、すばらしい。今夜はオールフリーを飲もう。

2014年10月11日土曜日

とどのつまりは想像力

ムスメ12キロ、ムスコ8キロです。

抱っこひもで8キロを抱え
歩くと疲れちゃう~とごねる12キロをベビーカーに乗せ
子どもの荷物でパンパンのカバンをかついで

ときどき電車やバスに乗っています。

おかげさまで二の腕が(さほど)ブヨブヨしていません。
嗚呼、すばらしき子育てトレーニング!


最近もプレジデントオンラインの記事がバズってましたが
ベビーカーに限らず「子どもと公共エリア」に関わる論争が
定期的にネット上をにぎわしています。

個人的には、電車やバスのベビーカーに関しては
「子連れだから仕方ないでしょ!」とドヤドヤしている親よりも
頼むからぐずったり泣いたりしないでくれよベイビーと切に願い
「いろいろなんだかすみません」と恐縮しながらどうしても
必要なときだけ手伝ってもらっている親の方が絶対的に多い。
と感覚的には感じています。

そんな訳で論争の構造はいつも

周囲に配慮の足りない親への批判

と

子連れに優しく寛容になろうという意見

の対立だなと思う次第なのですが、これってつまるところ
「思いやり」と「他者に対する想像力」の問題ではないかと。

困っている、大変な因子があるのは子連れだけじゃない。
どんな人にだって、どんな困っている状況下であっても
お互いに「たすけてー」「たすけるよー」が気軽にできること。
そのためにも「あの人こまってるんじゃね?」と他者のことが
想像できるか否か。

そして困っていると想像できた時にそこに手を差し伸べることが
できるか否か。

助けの手を差し伸べるのに勇気が必要な世の中なんて
なんてさみしいんだ。

と

そんなことをうつむいてスマホを見ている人ばかりの車中で
ぼんやり考えるのでありました。

私は助けるひとになろう。うん。